Blacksmith er 鍛冶屋のつぶやき

ロートアイアンの製作にまつわるお話を拘りを想いを皆さまに


昨日、気になっていた映画を見に行った。
ノルウェイの森
原作を多感な時期に幾度となく読み返したが、
愛するという事とか、生きるという事を全く理解する事が出来ない僕だった。
おかげで
なんかとてもややこしい所に傷が出来て、
ややこしい所だけに、様子を伺う事も
ましてや、そこに消毒液をかける事も出来ない。
だが、その傷は時間と共に姿を消していた。
でも、それは
この映画を見る迄で....
よく、原作との比較をする方がいるが、書いた人間と、それを別の形で表現する人間が
別人である以上、やはり違うのは当然の事の様に思う。この映画自体も決してずれていた訳でも無かった。
読み手にとっても世界観が違う訳でそれをどうのこうのと言う気などさらさら無い。
 
その当時は理解するが出来なかったが
いろんな事を経験し生きてきたおかげで
少しだけわかった事がある様な.........
愛するという事は迷う事であり、時には盲目にもしてしまう。
愛する事によって強く相手を傷つけてまう事もあり
自分自身もその代償を背負わなければいけない。
愛する事が強ければ強い程、失うも物も大きい.......
でも得る物はとても深く澄んだ物の様に思う。
そして決してお金で買う事は出来ない物......
で、あるプロセスをへて
『愛情』へと変化する。
そしてアイジョウは無償の物でないといけないと思う。
強く生きる事
これは愛する事よりかは少しは理解出来る気がする。理解出来るというか経験である。
僕にとって、生きる事は、すなわちもがき苦しみ悩む事。
毎日を平穏に暮らす事も大切な事であるが僕にとっては少し違う様な気がする。
これだけ見ればとても辛い事ばかりの様に思われるが
これは、真剣に生きている証拠であり、悩んだ数だけ、苦しんだ数だけ
幸せの濃度はより濃い物となってくると思う。牛乳の様なさらさら状態から
さらに深みを増し、絡み付く様な状態への変異。
で、その過程に必要であろう、苦の状態は千差万別である。
何処に有るのかわからない国が、もちろん国名さえも解らない。そもそも存在自体も不確かな国同士が
戦争している、当事者にしか決して解るはずの無い事で
そこで、何人が死に、どれだけの子供達が両親を失い
住む家がどれだけ焼失したか、飼っていた犬が何処へ行ってしまったのか
わかるはずなど決して無い。
でもそれを乗り越えることによって光は必ず見えてくると思う。
だから、僕にとって強く生きる事、すなわちもがき苦しむ事の様に思う。
その先の何かを見る為に....

何かとりとめの無い文章になってしまったが
これがこの映画を見て考えさされた事である。
ずれている様な気がするが.........................

少し疲れたので本日はここまで